終戦の日ですね。
戦後80年。
正午に黙祷しました。
『恒久の平和』などありません。
祈うだけで勝手に平和が恒久に続いてくれたりしません。
それだけに『戦後80年』はとても尊いです。
戦後29200日。700800時間。
先人が毎日毎日平和を続けてきたから、戦後80年なのです。
平和ボケとか失われた30年とか、平和が続いているから言えるのです。
平和という選択肢を選び続けたから、今、平和でいられるのです。

自分の都合だけをみて、誰かのせいにし、誰かを批判し、誰かを攻撃することは簡単です。
手っ取り早くスッキリするかもしれません。
でも誰かを攻撃するということは、誰かから攻撃されることを受け入れることでもあります。
つまりそれは、平和という選択肢を手放すということ。

人であることを手放し、鬼になるということ。
一度鬼の面をつけてしまったら、簡単には外せません。
一度誰かを攻撃し平和を手放したら、もう二度と元には戻りません。
ただただすべてを壊し焼き尽くし焦土にしていってしまいます。
そこからまた平和を望むなら、何の罪もない次の世代がなにもない焦土、ゼロから平和を作っていくしかありません。
それを経験した世代が旅立って行っています。
先人が作り、続けてくれた平和を今日も続けることがそこからまた平和を望むなら、何の罪もない次の世代がなにもない焦土、ゼロから平和を作っていくしかありません。それを経験した世代が旅立って行っています。先人が作り、続けてくれた平和を今日続けることが私にできることです。

千玄室さんが旅立たれましたね。終戦の日の前日8月14日に。102歳。
平和を導く茶の湯、『一椀から平和を』。
すばらしい方でした。
特攻隊に志願されたものの、周囲の計らいで飛ぶことなく終戦。
その後平和のために世界中飛び回り続けられました。
戦後80年の今日、新聞はその記事と共に千玄室さんのことを語っています。
これほどインパクトのある死があるでしょうか。
平和について後人に考えさせるためにあえてこの日を選んで逝ったのか。
わたしの、あなたの、今日の平和が、明日の、10年後の、100年後の平和を作ります。
攻撃しない。攻撃させない。もちろん大事です。
でも攻撃の有無から一旦離れて
『平和である』『平和でいる』
がものすごく大事なのかもしれないと感じます。
