素晴らしいドラマでしたね!いやあもう心震える物語でした。
演者さんの魂のこもった演技が素晴らしかったです!!
折原みとさんが、書かれている記事がまた愛があふれてて読むと思い出して泣けます。
この記事にもある通り、本当に脚本家の方をはじめ、監督、演出、主演の木村文乃さんらが皆、ラウールさんを見守り支え、応援しているように感じました。
それくらい、ラウール=カヲル(大雅)、この子の成長を応援したい!と思わせるものが二人にはありました。
今の私は、ラウール沼にいるので、ラウールさんについて語り出したらたぶん3日くらい語ってしまいます。
ちょっとここでは一旦そこは置いておいて、物語自体について語りたいです。
あ、その前に、
このドラマ、タイトル、登場人物の名前、小道具、曲、その出てくるタイミングまですべてが緻密に考え抜かれていて、関わっている全ての人が一切の嘘なく本気で向き合っている熱が感じられるドラマだと感じました。
「句点」や「読点」にそんな意味含ませる!?とか
初っ端なの授業で使われる石川啄木の
『大という字を百余り砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり』
にそんな意味含ませてるとか、もううわああ!
最後の最後のカットで植木鉢に双葉が出ていましたが、お母さんのお名前「早苗」さんなのにも震えあがりました。
※以下ネタバレを含みます※
さて、語りたいことは最終話。
鷹森大雅さんは美容学校の試験を受けるものの、9月19日に不合格通知を受け取り、愛実にこれ以上がっかりされたくない、と別れを告げました。
すべてをさらけ出した素っ裸の大雅でしたね。
「先生にだけはがっかりされたくない」からの
「あんたも俺のこと見下してんだろ!」は魂の叫びでした。
あなたにだけは見下されたくない。
心の底からの悲痛な願いです。
愛実の「そんなことない!」「帰らない!」「やだ!!」
も大雅を丸ごと受け止めての嘘のないすべてをかなぐり捨てた本気でした。
でも大雅はそんな愛実を追い出し、歌舞伎町へ戻ろうとします。
自分を拾ってくれた社長に会いに行きます。自分の父ではないかと感じている社長。
勇気をふり絞って聞きます。
「俺の親父ですか?」
社長は認めませんでした。嘘でごまかされます。
たしかにこの手に撫でられた記憶はある。
でも認められない。
父(だと思っている人)からの拒絶。
9月19日の鷹森大雅はなかなか試練が多いです。
そして大雅はそのまま夜の歌舞伎町の街へくり出し豪遊します。
飲んで騒いで一人ホスト寮に帰り、屋上のカバに愛実の帽子と自分の上着をかぶせ飲み続けます。
浴びるほど飲んだところで、どれほど「楽しー!!!」と叫んでみたところで、まったく楽しくなかったでしょう。
だって、それは「嘘」の世界だと知ってしまったから。
嘘しか言わない人、嘘しか言えない自分。
それが大雅にとっての歌舞伎町。
愛実と出会ってはじめて知った「ほんと」のやり取り。
自分の本当を伝え、相手からの本当が返って来る。それを知ってしまった。
もしかしたら、ギリギリまで隠していた自分のほんとの気持ち「あんたも俺のこと見下してんだろ!(あなたにだけは見下されたくない)」を愛実にぶつけていなければ、愛実がその大雅のほんとを受け止めほんとで返していなければ、大雅は歌舞伎町の世界に戻ったのかもしれません。
でも、大雅はほんとの気持ちをやり取りできる人と出会い、それを知ってしまった。
そういう生き方を自分はしたかったのかも、自分のほんとの気持ちが言いたくて生きてきたのかも、と気づいてしまった。
生真面目で融通が利かず、冗談の通じない愛実。裏を返せば常に「ほんと」の愛実。
ホストと交際したいと女子高に報告するような頭の固さ。
その為に学校を首になっても自分を貫く人。
大雅「みんな山ほど嘘ついてる。嘘つかないで生きていけると思ってんの?」
愛実「だからせめてあなたとのことだけは嘘つきたくなかった」
大雅がイラついて重いんだよ!!と怒鳴るくらい真っ直ぐなほんとの気持ちで向き合っていた愛実。
お別れ遠足の時すら、その場限りのキレイごとを言ったりしなかった愛実。
そうして大雅の中に少しづつ積もっていた愛実の「ほんと」があったから、大雅は歌舞伎町に戻るのではなく、もう一度やってみようと思いなおせたのではないかと感じました。
愛実の
愛された記憶があれば、人は生きていく勇気が湧く。いつか離れ離れになることがあっても、愛された記憶が彼を前に歩ませてくれると思うから
愛のがっこう11話より
という独白の通り、愛実の愛はまさしく大雅の中で芽吹き始めていたのだと思います。
そうは言っても、自分が怒鳴りつけ追い出した人です。普通なら、なかなか仲直りの糸口は見つからないものです。
でも大雅はもう知っています。
愛実の言葉は常に「ほんと」だと。
愛実が花火大会へ行こう、と言い約束していたなら、彼女は絶対来る。日傘があるか確かめようと約束した愛実は絶対カフェに来る、大雅は確信をもって待ちます。
「絶対来ると思ってた」
これぞまさしく「愛された記憶」です。
二人はこの後、砂浜に「愛」を百余り書きます。
大雅にとっての愛実は、ほんとで向き合える人。
自分のほんとをさらけ出してもいなくならない、ほんとで対峙してくれる人。
では愛実にとっての大雅は?
答えは10話にありました。
学校をやめたことで言い争いになった際、ブレーカーが落ちるシーンがあります。
その時大雅はこんなことも知らないのかと馬鹿にするのではなく、やってあげるのでもなく、説明しその解決を愛実自身にさせます。
これこそが、愛実が父の元ではできなかったこと。
大雅は愛実のやりたいことを先回りしてやったり、やめさせたりせず、見守る人なのかな、と感じました。
愛実は大雅のそばではのびのびと自分でいられる、ということなのかな、と。
愛実と大雅は、お互いが自分のほんとでいられる人だから愛おしい、という事なのだと感じました。
ところでどうしても言及したい演出のお話しが!
キスシーン!
全編通してキスシーンが3回(1回は未遂)ありました。
どれも秀逸ですが、
最初の1回は6話の海岸。
俺汚れてるから先生にはキスしない、と言っていた大雅に愛実からしようとし、大雅は一度は止めるもののためらいながら愛実へ軽くキス、その後お互い引き付けられるように・・・
2回目は未遂の10話。
自分の言葉は濁っている気がして好きだと口にできない大雅が筆談で
「そばにいたい」と伝える場面。
乾杯した後の大雅の顔に(好き―!キスしたい!してもいいかな?)と書いてあるような、全て表情で丸わかりな様子で照れながらためらいつつ近づいてくる、愛らしいシチュエーション
そして3回目は最終話。
再会後、二人で砂浜に愛の字を百余り書いた後。
大雅はここではじめてためらいなく愛実にキスして抱き締めます。
愛されている、愛している、という確信が持てるからためらわずにキスできる様子が現れています。
3回のキスを通して心が徐々に近寄っていった感があって、キスの演出が絶妙だと感じました。
加えて衣装も言及したい!
最終話の再会シーンの大雅の服装がなかなか良いです(全編通してもちろん格好良いんですけど)。
百々子が心配していた
「アイツが普通の生活が送れるか疑問」
に対しての答えのように感じました。
それまで何度か履いていたヴェルサーチのジーンズではなく普通のジーンズにブランド感のない白Tシャツ&愛実が着ていたような薄いピンクシャツ。
アクセサリーも時計もセカンドバッグもなし。
水商売の匂いのしない装い、というのでしょうか。
普通の生活を想像させる装いだったように思います。
髪もナチュラルでしたよね。
演出家さん?衣装さん?スゴイです。細部まで手抜かりまったくなしです。
ちなみに愛実の装いがちょっとオバサンくさくてダサいのも良いです。
愛実はそんな人です。
愛の、がっこう。
は、登場人物のすべてが色んな愛を教えてくれただけでなく、演者さん、脚本家さん、演出家さん、監督さん、衣装さん、照明さん、カメラさん、・・・関わるすべての人の愛を感じられる作品だと思いました。
愛を受け取ると愛が湧いてきます。
一生心に残るドラマです。
心からお礼を言いたいです。
関わったすべての皆様、素晴らしい愛をありがとうございます!