のたりと夢見

夢を見ますか?
夢を覚えていますか?

私は夢と食事が密接です。
正確には夢と空腹が密接です。
空腹の状態で寝るとよい睡眠、よい夢見ができます。

ここで言う「よい夢」というのは自分にとって都合の良い夢、という意味ではありません。
起きた時に多くを記憶している、こちらの世界に持ち帰れる夢のことを指しています。
夢には多くの情報を含んでいますが、起きた時に何を意味しているのか分からない夢もあります。

今朝の夢はそんな感じでした。こういう夢にはきっと大事なものが隠れています。
紐解いていきます。

高齢の母と鬼籍に入った姉とケンカをする夢でした。
”どうして〇〇してくれないの?”的な。
正直今更高齢の母や鬼籍の姉に期待することなど多くはありません。
せいぜいがとこ、幸せでいてください、くらいです。
夢は

うちの勝手口の扉が青緑に代わっていて、鍵が差さっている。
どこかに出かけなければならないのに姉が知らないおじさんと話していてなかなか出かけられない。
私は間に合わないと怒る。母がやってきて間に合わないなら行かなければいい、と言う。
私はさらに怒りじゃあもう行かない、と言って離れる。

と言うものでした。

むーん・・・。
夢を思い返してみると、私は母と姉に期待しているのです。
現実では期待していないつもりでも、それは『期待しないようにしよう』という自分へのブレーキにすぎないのかもしれません。
本当はまだ期待を捨てきれていないのか。
期待をするのもされるのも好きではありません。でもまだ完全に手放してはいないのかもしれません。

さて今回の夢の大事なポイントは
『鍵が差さっている青緑の扉』
私は家の内側から外側へ出ようとしているのに、鍵は内側に差さっていました。
つまりあの場所から外に出るには鍵が必要で、その鍵はすでに手に入れている、ということです。
面白いです。
私は外に出たい。出ることが可能である。でも母と姉がそれをやめさせるという風に感じている、という構造です。

ここまでくればあと一息です。
私は外の世界に行きたいが、諸々理由があって行きたくないという感情もあるようです。
でもそれを行きたくないとは思いたくないので、母と姉が邪魔する、という「行きたくても行けない」形を作ろうとしているようです。
やれやれひねくれています。
このひねくれて捻じれたものを元に戻すと
『行きたいところがある。行くことは可能である。でも行きたくないという感情もある。』

です。
私は自分の「行きたくない」を人のせいにしてはならないし、ないことにしてもならない。
「行きたくない」の感情に「なぜ」を投げ、つまびらかにしていく必要があるようです。
大抵は「未知への恐怖」だと思うのですが、思い込みで片づけずに向き合います。